6. 藤沢宿に最も近いお城?〜モダニズム建築の傑作、藤沢市労働会館の再発見〜

出発時間:11時30分   定員:20名


 ”町を見渡す「城跡」に建つ労働者のヤカタ”-藤沢市労働会館は、1976年、発明家・中島統一氏の邸宅跡に群建築研究所(代表:緒形昭義)の設計で建設された、藤沢宿周辺の険しい地形を「城跡」に見立ててうまく活かしたモダニズム建築の傑作です。石垣を思わせるホールの外壁、大胆に開かれたピロティ、太い錆仕上げの柱、円形の特徴的な窓、そしてアクセントとなっている螺旋階段がとても印象的です。現在でも様々な地域の催しに活用されています。藤沢宿周辺エリアの大切な地域資産である藤沢市労働会館をこの地域と土地の歴史を踏まえて、見学するツアーです。

藤沢市労働会館公式ウェブサイト

1説明

ルート

御殿辺公園出発

常光寺・中島統一氏のお墓参り

常光寺境内を通って地形を体験しつつ藤沢市労働会館へ

藤沢市労働会館にてミニレクチャー

藤沢市労働会館の見学
(体育室、螺旋階段、各種会議室、屋上広場、ホール、食堂・ロビーなど)

現地解散

案内者

・福嶋茂(藤沢市労働会館館長)
・中島直人(慶應義塾大学准教授)

※当日は本会館の設計を担当した河辺龍二郎氏(群建築研究所/沼津代表取締役)にもご参加頂きます。

まちあるきのポイント

・藤沢市労働会館の設計者は、故・緒形昭義氏が代表を務めた群建築研究所です。群建築研究所は、藤沢市労働会館を設計するにあたっては、基本構想として、次の五か条からなる「藤沢労働会館基本法」を策定し、この法を原理として、空間の構成を組み立てていきました。

第1条 藤沢労働会館は、地域の労働者が、ひとりでも気軽に立ちよれるものでなければならない。
第2条 藤沢労働会館は、地域の組織、未組織労働者の多様な利用に対応する、あまり大きくない、多様な部屋を用意しなければならない。
第3条 藤沢労働会館は、ユニークな、あまり大きすぎないホールをもっていなければならない。
第4条 藤沢労働会館は、行事的・選手養成的でないスポーツ施設をもっていなければならない。
第5条 藤沢労働会館は、その設置される地域社会に対して、特性のあるサービスを提供しなければならない。
第6条 藤沢労働会館は、その多様な利用・運営を保障するため、必要な管理の区分を数段階、明確にもたなければならない。
(『建築文化』、1976年6月号より)


・特にその「藤沢労働会館基本法」の第5条に示された地域社会との関係については、藤沢市労働会館の最大の特徴である、敷地の持っている特性を最大限に活かして、地域の景観や環境の向上につながるデザインとして具体化されています。2006年に亡くなった緒形昭義を追悼する文集『緒形昭義のこと』にて、当時の具体的なデザインの意図が次のように綴られています。

「見晴らしの良い小高い崖上の、かつての豪勢な住宅敷地の地形が利用された。主要な施設、ロビーやホール・食堂は地下に収められ、敷地の地上階は周辺の住民が自由に通り抜け、憩える広場として計画された。見晴らしを遮らないような高層棟の地上階はピロティ、ロビーやホール・食堂のトップライトが広場の修景を形成している。良好な住宅地に規模の大きな施設を計画する場合、周辺の環境を損なうことなく、むしろそれを補強する手法が今後必要とされている。全体は蔦に覆われた城跡のイメージ、鉄部も錆仕上げである。」
「”町を見渡す「城跡」に建つ労働者のヤカタ”みたいなものがあって、それがデザイン上のテーマになっている」
「城壁の上も、周囲も基本的にオープンで、(仮想)城址公園になっている」


・今回のまちあるきでは、普段、見慣れている藤沢市労働会館の建物について、設計者の意図を踏まえて、地域の視点から見直すことを通じて、藤沢宿エリアの大切な二つの記憶を感じ取って頂きたいと考えています。

①砂丘の記憶:高低差のある丘陵地形
 現在、藤沢市労働会館が建っている一帯は、かつて「横須賀」と呼ばれていました。「須賀」は砂地という意味で、実はこのあたりは砂丘だったのです。東海道の南側はすぐに砂丘になっており、その際に寺院が立地していました。そうした地形を活かした藤沢市労働会館は、藤沢宿の砂丘の記憶を最も鮮明に残しているのです。今回は旧東海道から常光寺境内の坂道を登って砂丘の尾根を伝うかたちで藤沢市労働会館にアプローチします。

②お屋敷の記憶:大きなお屋敷の跡地
 かつての横須賀の砂丘は、特に明治20年の藤沢駅の開設以降、次第に住宅地として開発されていきます。特に高燥の地で、江の島や富士山を望むことができる砂丘の端部には立派なお屋敷が並びました。藤沢市労働会館の建つ敷地もその一つで、ここは昭和40年代中頃まで発明家で、日本特殊鋼管株式会社(新日本製鉄株式会社の前身の一つ)の創立者である中島統一氏のお屋敷があったところです。中島統一氏のお屋敷には、砂丘を象徴する松の木が植わった芝生の大きな庭があり、そこから江の島が眺められたと伝わっています。藤沢市労働会館は、お屋敷の大きな敷地だけでなく、ピロティによって庭の記憶をも受け継いでいます。今回は常光寺にある中島統一氏の墓所とセットで訪ねることで、土地の物語を体感します。

設計者・群建築研究所と緒形昭義について

藤沢市労働会館の設計・監理を担当したのは、故・緒形昭義氏が代表を務めた群建築研究所です。群建築研究所は労働会館以外にも、藤沢市総合計画策定調査や湘南台文化ゾーン構想設計、湘南大庭市民センター設計などの仕事を通じて、藤沢市のまちづくりに貢献してきました。

【緒形昭義氏の略歴】
  1927年 東京生まれ
  1950年 東京大学建築学科卒業(田村明の同級生)
  1952年 横浜国立大学建築学科助手
  1967年 群建築研究所設立
  1987年 アリスセンター(まちづくり情報センターかながわ)設立 代表
  2006年 死去(79歳)


【群建築研究所の主な作品】 
  ・竹山団地センター施設(1970)※神奈川県建築コンクール 最優秀賞受賞
  ・寿町総合労働福祉会館(1974)
  ・藤沢市労働会館(1975)※神奈川県建築コンクール 最優秀賞受賞
  ・オルタナティブ生活館(1985)
  ・湘南大庭市民センター(1985)


【群建築研究所の藤沢市関係の仕事】
 ・藤沢市総合計画策定調査(1967)
 ・総合都市調査報告書(1971)
 ・湘南台総合文化センター基本構想(1974)
 ・藤沢市労働会館(1975)
 ・海岸リクリエーション都市調査研究(1975)
 ・湘南台文化ゾーン構想設計(1983)
 ・湘南大庭市民センター・公会堂(1985)


発明家・中島統一氏とその邸宅について

【中島統一氏の略歴】
1927 年 中島研究所設立
1930 年 中島鋼管に改組
1931 年 「遠心力寿造法による管鋳造装置の改良」によって、第一回恩賜発明奨励金の交付を受ける。
1934 年 日本特殊鋼管株式会社創立。専務取締役。
1940 年 日本特殊鋼管株式会社、社長就任。
  ・その間、遠心鋳造に関する特許18 件、実用新案6 件。
  ・日本特殊鋼管は1960 年に八幡鋼管株式会社となり、1968 年に八幡製鐵株式会社に合併。
  ・1970 年3月に八幡製鐵株式会社は富士製鐵株式会社と合併し、新日本製鐵株式会社となる。
1968 年 藤沢市の自宅で逝去。常光寺に葬らる。

【中島統一邸の記憶(『中島統一 その人と業績』)より)】

「手入れのゆき届いた緑の芝生越しに遙かに江の島の見える藤沢の高台のお宅の、趣味のよい落付いた中二階の座敷で、その時々氏が没頭されている、その後の新しい研究についての着想や、苦心談など、時の過ぎるのを忘れて諄々と話される熱っぽい姿が今だに自分の瞼にある」
((松江徳太郎「大きな企業家」)

「毎年長い夏休み、祖父の家は” 豆台風” の住家となる。東京から約1 時間、藤沢にあるこの家に着いた時のにおい。芝生の、たくさんの松の木の、古いずっしりとした家の、一種独特のこの香は私の心を落ちつかせてくれた。
 今ここに降り立ち、分担された荷物を持った私は、姉や妹に遅れをとるまいとせみの声の中を一気に駆け登る。暑い、暑い。坂道の行き止まりにある玄関に荷物をほっぽり投げて、その足で祖父の所へ走る。” あっ、いたいた”、また勉強している。私は幼い心に、年をとっても勉強をしなければならないのかと、疑問と不安を覚えた。
 ワッ!!と顔を出すと、祖父は一瞬驚いたふうに見せるが、すぐ顔をしやでくしゃくしゃにして、よくきた、よくきたと迎えてくれる。まさに満面に笑をたたえる、というところだ」
(中島弥生「夏への想い -祖父の思い出-」)