にしとみといふ所の山、繪よく書きたらむ屏風を立て並べたらむやうなり。
片つ方は海、濱の樣も寄返る浪の景色も、いみじくおもしろし。もろこしが原といふ所も、砂子のいみじう白きを二三日行く。夏は倭瞿麥の濃く薄く、錦をひけるやうになむ咲きたる。
これは秋の末なれば見えぬといふに、なほ所々はうちこぼれつゝ、あはれげに咲きわたれり。もろこしが原に倭瞿麥の咲きけむこそなど、人々をかしがる。(更級日記)
平安時代に執筆された更級日記には、関東から京へと帰る道中に眺めることのできた当時の藤沢の景色が描かれている。西富の丘陵地から、相模湾を眺めると波の様子の美しさが趣深い、藤沢の地形によってつくり出されたこの風景はそれから1000年経った今でも変わらない。
また江戸時代には、東海道が境川の河岸段丘である相模野台地と相模湾によってもたらされた砂丘の狭間を縫うように通り、そこに這うようにして藤沢宿の町割りがなされる。
山ぎわと海ぎわの交わる地形、藤沢宿を「地形」とその名残を表す「地名」からたどってみるツアーである。