3.藤沢宿社寺巡り  〜社寺を紡ぐもうひとつの藤沢宿〜

出発時間:13時30分  定員:各15名


 藤沢宿エリアには数多くの社寺があります。これらは古くからこの地域を形成する骨格として、あるいは小さなコミュニティの拠り所として各時代も拠点としての役割を担ってきました。
主に旧東海道沿いではなく、その一歩裏手にあるこれらの社寺が導きだす”もうひとつの藤沢宿”を巡りながら、歴史散策をしてみませんか。
「常光寺と近代英文学者野口米次郎」、「源義経の愛した長生院」など、各寺社それぞれの「物語」に注目しながら藤沢宿を歩くと、普段とは違った景色が見えてくるかもしれません。

1説明

ちょいと解説

◆常光寺/野口米次郎記念碑
〜日米二重国籍に渦巻く謎〜

野口米次郎は英詩人、新聞記者、文学評論家。1875年愛知県生まれ。アメリカ文学と日本文学の架け橋的存在。米次郎の複雑な家庭環境のもとで生まれた息子は、彫刻家のイサム・ノグチ。アメリカと日本の二重国籍に負い目を感じ、父米次郎に憎悪の念を抱きながら生きる。1904年米次郎が29歳の時、日露戦争で来日を果足した際に、兄佑真が当時、住職をしていた常光寺で約半年生活した縁から、墓地(記念碑)が常光寺の一角に存在している。この墓は、イサムが最も意識した「3」を踏襲しているが、本当にデザインしたかどうかは定かではない。




◆鼻黒稲荷大明神/金砂山観音堂
金砂山観音堂の本尊は「帯解観音」と呼ばれ、懐妊や安産守護のご利益を求めて毎月17日には女性が参拝したとの記録があります(相模史料集「相模藤沢駅」)。 また、「嗚呼九月一日」と書かれた関東大震災(1923年9月1日)の慰霊碑が置かれています。藤沢周辺の地盤は砂丘で不安定であった為、家屋が崩壊し被害が大きくなったと言われています。






◆感応院/360度まわるお堂
〜源頼朝が勧請した三島大明神〜
源頼朝が1218年(建保6年)静岡三島神社を勧請し創建。正式名称は「三島山瑞光院感応院」藤沢で最も古いとされる寺。360度まわる珍堂「三島大明神」がある。なぜお堂が回るのかは現在調査中。仏教において、「回転」は非常に重要な意味を持つことが考えられる。「卍」や「輪廻」もひたすらまわるまわるまわるまわる…..




◆長生院/小栗判官伝説・照手姫伝説
「小栗判官・照手姫伝説」は諸説あるが、小栗満重は、足利持氏に謀反を起こして攻められる。家来十人とともに逃亡している中で、横山大膳の館に泊まる。ところが、大膳盗賊で、照手姫をつかって満重に毒酒を飲ませ財宝を奪おうことを企む。藤沢から紀州の熊野まで車で運ばれ、満重のみ命が助かったが、家来十人は毒殺されてしまう。後に小栗満重は横山大膳を破る。照手姫は満重が亡くなった後、遊行上人を頼って、満重 と家来の霊をとむらい長生尼となって余生を過ごした」とある。




ルート

御殿辺公園出発

常光寺(野口米次郎と藤沢)

鼻黒稲荷大明神/金砂山観音堂

長生寺(小栗判官伝説・照手姫の伝説)

感応院解散