1.なるほど建物まちあるき 〜旧東海道を歩く〜
出発時間:14時00分 定員:15名
このツアーでは旧東海道沿いの建物をめぐります。旧東海道沿いには、登録文化財となっている町家やところどころに残る店蔵などの歴史的建造物以外にも、多種多様な建物が並んでいます。これらの建物は一見際だった特徴もなく、建てられた年代や用途もばらばらですが、「建物」と「通り」との関係という視点で見ていくと、なるほど、これらの建物も藤沢宿の歴史と深い関係を持っていることが見えてきます。このツアーでは、これらの一つ一つの「建物」が、「通り」や「街」とどう関わり合っているのかを皆さんと考えながら歩いてみようと思います。時代の変遷とともに、「建物」と「通り」、そして「街」との関係は変っていきます。普段は気づくことのない建物の佇まいの理由やメッセージ、一緒に「なるほど建物」を発見してみましょう。
『なるほどポイント』の例
■藤沢宿の町家の典型 みつはし園
関東大震災後の大正14年、旧東海道に南面して、店舗兼住宅として建設された。切り妻造・トタン葺き、軒を出桁造とし、平入の1階の正面に下屋を張り出す構成となっており、この下屋を通して、「通り」と「建物」の内部が連続的に繋がっている。藤沢の町家の典型形式であり、旧藤沢宿の歴史を伝承する存在といえる。また、屋根には鬼瓦があり高級感を漂わせている。
■藤沢宿の看板建築と言えば、松元屋
いわゆる「通り」への表情づくりを強く意識した看板建築であり、ペンキ塗りの下見板張りや妻中央の装飾などには洋風の要素がみられる。一般に看板建築は、2階正面を1階正面と同一面とし、正面の壁面を不燃材料で覆う形式を指す*1。松元屋の場合、2階壁面に可燃材の下見板を使用している点、正面に下屋を突き出す点は一般的な看板建築と異なり、特に、下屋は近世町家の名残である。外観に伝統的な町家と近代の看板建築の両方を合わせ持つ点が特徴的である。
■「昭和商店建築」は健在 内田商店
関東大震災以降、戦後に至るまで、旧東海道に並んだのは、「通り」(旧東海道)に面する建物の正面部分のみを、建物の構造とは関係なく大きく立派に魅せるようにデザインした建物で、これを「昭和商店建築」と呼びたい。看板建築のような装飾性はなく、単に一枚の耐火の板が建物をカバーしているように見える。この一皮部分の高さは商店の「通り」に対する「見栄」を表現しているとみることができる。写真の内田商店の建物は典型的な2階建ての「昭和商店建築」であるが、間口が狭い中で看板としての主張をする意図もあってか、正面のみ3階部分まで突き出している、立派である。
■建物の増築履歴が「通り」の表情をつくる、田中家住宅
西寄りにL字型に建物を連ね、かつ東寄りに平屋の付属部分を突き出す特徴的な構成である。当初は、現在の板敷き部分の北端部に石積壁がL字型に残る構成から、既存の石蔵を改造した可能性があると言われている。増築をしたことにより、複雑な幾何学的なファサードになり、「通り」に対する豊かな「表情」が生まれた。
■痕跡として残る「建物」が「通り」と奥をつなぐ
奥の建物外壁に、以前手前に建っていた建物の屋根の妻のかたちが痕跡として残されている。建物は「通り」から引っ込んだ位置にあるが、この痕跡となった見えない「町家」が、「通り」と奥の「建物」とを結びつけている。
■現代の建物に伝統的な町家のエレメントを引用
旧東海道沿いでは、ここ20年くらいの間にマンションや駐車場を旧東海道沿いに備えた建物が増えた。そうした建物の中にも入り妻形式を模した屋根形状を採用したり、「通り」との境界部に瓦を載せた塀を設置するなど、かつての町家のエレメントを引用した建物がある。これらも旧東海道を意識したある時期の景観行政の成果である。
参考文献
・小沢朝江『藤沢市・旧藤沢宿 歴史的建物調査報告書 みつはし園 松元屋』、2010年
・小沢朝江『藤沢市・旧藤沢宿 歴史的建物調査報告書 田中重光家住宅 田中商店 寺田家土蔵 榎本誠一家外蔵・倉庫』、2009年